祈りの生活

修道院の鐘
修道院の鐘

 トー会はベネディクト会よりも、祈りの生活を強調します。これは、シトー会誕生の背景となった、11世紀のヨーロッパの宗教事情を反映しています。当時、隠遁主義(一人あるいは数人で神のみに向き合う生活)がヨーロッパに広がっていましたが、シトー会創立者たちはその隠遁グループの一つから生まれました。そのために、戒律は祈りを最重要視していると解釈しました。

伝統的に“聖務日課”と呼ばれるカトリック教会の祈りは、すでにユダヤ教の時代からあった詩編を中心にする信仰共同体の祈りに起源があります。これは初代教会に受け継がれ、長い世紀をかけて、修道院生活の中で内容的にも儀式的にも、豊かにされ、第二バチカン公会議を経て、母国語化され、単純化された典礼として現在に至っています。これは一日のスケジュールに一定間隔を置いて詩編の祈りを挿入する祈りのシステムです。旧約の詩編に、「日に七たび主をほめたたえる」とあるように、一日に七回の詩編詠唱が課されています。精神が俗事にとらわれることなく、神の思いで満たされ、一日を聖化することが本来の目的でした。

しかし、この典礼が信仰共同体の中で祝われるとき、復活のイエスが現存され、イエスはその祈りを父なる神にささげられます。キリストは新しい人類のかしらとして、教会の祈りを神にささげます。したがって、公に行うわたしたちの共同の祈りはイエスの祈りに与ることです。この祈りは教会の主要なつとめであるばかりでなく、修道者にとって、キリストの命に与り、キリストの使命を生きることでもあります。 詩編詠唱をふさわしく行う修道者の心に、神はキリストにおける救いのわざ、創造のわざを展開します。それによって、修道者は心を一つにして、人類との連帯のうちに、賛美、嘆願、とりなしの祈りをすることになります。これは人知と人力によるものではないので、ベネディクトはこの典礼の祈りを、「Opus Dei」 “神のわざ”と呼びます。そこで働くのは“神”だからです。 それゆえ、ベネディクトはすべての行為、つとめの中で、“神のわざ”を最優先するように勧めます。

詩編は種々の配分が可能です。厳律シトー会では各修道院の伝統を重んじる立場から、配分には柔軟性を持たせています。ただし、150編の詩編を2週間以内に唱えるのが原則です。本院ではモナスチカ伝統の配分を日本語に適応させて用い、1週間半くらいで150編を唱えています。 この配分の特徴はキリストの秘義を詩編配分に反映させていることです。

 

聖務(教会の祈り)

夜課

キリストの再臨を待つ時課

賛課

キリストが復活した時刻。キリストの復活を祝う時課

三時課

聖霊が下った時刻。 聖霊をほめたたえる時課

六時課

キリストが十字架につけら

れた時刻。 ご受難と人類へのとりなしの時課

九時課

キリストの死去の時刻。 キリストが永遠のエルサレムに向かう時課

晩課

最後の晩餐の時刻。最後の晩餐の記念。

終課

一日の終わり。すべてを神にゆだねる時課。

 

 

キリストの秘義を各時課に当てはめたこの配分は、可能な限り、キリストの秘義に合う詩編を各時課に使っています。これはモナスチカ生活の目的がキリストの過ぎ越しの神秘に与ることなので、妥当な方法です。

 

詩編配分表(こちらをクリックすると表示されます)

 

 修道院共同体の主な任務である聖務の他に、一日に45分以上の念祷の時間が義務づけられています。これは心の深いところの沈黙の祈りです。そして、すべての聖務の頂点であるミサが生活の中心にあります。週日は45分で終わります。 また、季節によって、定期的に禅瞑想もします。これは、東洋的瞑想法によって、心を空にする訓練ですが、深い祈りを目指します。