愛の学校

聖母の保護の下にある教会
聖母の保護の下にある教会

  校組織は中世期に修道院から派生しました。ベネディクトの戒律に“奉仕の学校の建設”と書かれているように、修道院は学校でしたし、現在もそうです。

 その教育理念は全人的人間の養成にあり、神の似姿としての人間性に高貴さと調和を添えることにあります。修道生活が完徳の道とされるのは、それが、「天の父が完全であるように、完全になりなさい」とのキリストの言葉へのアプローチだからです。完全性は、神の世界が人間に投影されることでもあります。これをパウロは次のように表現します。「神は、わたしたちが神のみ前で聖なるもの、非のうちどころのないものとなるように、世界創設以前から、キリストに結ばせることによって私たちを選び出してくださいました。それはわたしたちへの愛によるものです」

 つまり、神的なものと人間的なもの、霊的なものと肉体的なものがイエスにおいて一つになっていたように、超自然的なものと自然的なものが一つになる人間像をベネディクトは弟子たちの上に求めます。それゆえ、修道者は霊魂と肉体の二つを使って、謙遜の梯子を上るべきであり、詩編詠唱に当たっては精神が声と一致するように努め、自らの手で労作し、生活してこそまことの修道者とされます。

 肉体と精神を一つにする教育システムの中で、修道者の習得すべきことは神と人への愛です。「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛せよ。また、隣人をあなた自身のように愛せよ」との愛の掟が全聖書の要約とされるように、戒律のすべての規定はこの愛の掟に基づいています。

 ベネディクトは戒律を結ぶにあたって次のようにまとめています。 「相互に競って尊敬する。きょうだいの体と精神の弱点を、最大の忍耐を尽くして忍ぶ。競って相互に服従する。自分の利益を図らず、むしろ他人の益を図る。純潔にきょうだい愛を実践する。愛をもって神を畏れる。真実、謙遜な愛をもって、自分たちの修道院長を愛する。万事に超えて、キリストを愛する」

 わたしたちには血を流す迫害や殉教の可能性は低いかもしれませんが、この愛の掟を完全に生きようとするなら、日々些細な事が自分を十字架に架ける機会になるでしょう。しかし、そこには聖霊の喜びがあります。