従順

石地に咲く菫
石地に咲く菫

旧両聖書は創世記から黙示録まで、一つのメッセージで貫かれています。「神のことばを聞いて従え」というメッセージです。聖書は、不従順によって楽園から追われた人類は従順によって神に帰るとしています。ベネディクトの戒律はこの聖書のメッセージを要約したものに過ぎません。したがって、修道者の道はすなわち従順の道です。厳律シトー会の誓願の一つは従順ですが、この従順の中にすべての誓願と諸徳は含まれます。

 

 この従順は上司に対する部下の従順でもなければ、親に対する子供の従順でもありません。人間は本来、すべてを自分の思い通りにする欲求をもって、生きていますが、この欲求をことごとく捨て、神の御心のままにすべてを行うこと、イエスのもたらされた真理を行うことによって、真の自由に達することを従順によって目指します。それは「父よ」と神に向かって呼ぶ子の霊をいただくためです。

 

 「人の子は書き記されたとおりに去っていく」との言葉はイエスの生涯をよく説明すると同時にわたしたちの生涯の道もよく表しています。神のご計画のままに生活し、ご計画のままに去っていくことを従順として、戒律は神へ帰る道と言います。毎日の生活で、神の御心のままに生きることは大きな努力なしに達成できません。「無気力で従順さに欠ける生活を送り遠ざかってしまった方のもとに、従順の労役を通して戻る」とベネディクトは言っています。それは密度の高い生を生きることでもあり、時の充満を体験することでもあります。

 

 自分の意志を捨て、神の意志に一致することによって、人間は成熟し、まことの人間に成長するとの教育理念をベネディクトは持っていました。この従順の究極的目標は、イエスが「自分の見た父のわざ以外には、自分からは何もできない」と言われたほど御父の意志に一致されたキリストに従うことです。わたしたちにとって、御父の意志は、キリストによって表されますから、従順するのは、キリストの言葉に従うことです。キリストの意志に一致することはわたしたちに苦しみをもたらす一方、聖霊の喜びも与えてくれます。修道者はこの従順の仕事によって、キリストの救いのわざに参与します。

 

  

孤独 従順 謙遜

 

稲垣 良典先生

九州大学名誉教授。専門は哲学、法哲学、トマス アクィナス。

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